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惜しまれつつも解散したFUNKY MONKEY BABYS(通称・ファンモン)のリーダー、ファンキー加藤が待望のソロ・デビューを果たす。応援してくれる全ての人への手紙のような『My VOICE』を書き上げるまでには、いったいどんな過程があったのだろう。2月14日からはドキュメンタリー映画『ファンキー加藤 / My VOICE ~ファンモンから新たな未来へ~』も公開に。ソロ・デビューまでの道のりを振り返る言葉には、悩み、苦しんだからこその強さが光っていた。 Photo:駒井夕香 Text:山田邦子

──いよいよソロ・デビュー・シングルがリリースされるわけですが、発売日が待ち遠しいですね。

「いやぁ、このソロ・プロジェクトが始まってからは(時間の流れが)ものすごく速いですよ。(2013年の)11月から毎週末インストアライブのツアーを行なっていますけど、このサイクルも本当に充実感に溢れていて。だからこのままあっという間に発売日を迎えるんだろうなと思ってます。やっと以前のような、自分が好きな生活サイクルというか、音楽のサイクルの中に入っていけたなって気持ちですよ」



──ソロ・デビューをきちんと発表できた時は、ホッとされたのでは?

「そうですねぇ。…6月2日の東京ドームが終わって、翌日から10日間ぐらいお休みをいただいたんですね。でも本当の意味で、心は休まらなかったんです。というのも、10年間突っ走ってきて、その歩みが止まった瞬間ですからね。ファンモンという大きな家を失った喪失感とか、今後どうなっちゃうんだろうっていう不安に飲み込まれてしまって…。それで、すぐスタジオに入ったんですよ。その曲がどこに向かうのか、どういう形になるのかも分からないまま、とにかく自分の中の不安を解消するために。だから頭で先々のプランを考えたんじゃなくて、心が望んだっていう感じで動き始めたんですよね。もちろん東京ドームの前もぼんやりとは考えていたんですけど、本当の意味でソロ活動をしようと思ったのは、そのスタジオに入って気持ちが落ち着いた瞬間でしたね」

──そうだったんですね。ちなみにそのスタジオでは、具体的にどういうことをしていたんですか?

「今じゃ完全に忘れちゃってますけど、何か曲を作りました(笑)。初期衝動のままに始めたからね。もちろんそのあとに、2人(モン吉&DJケミカル)が抜けた穴というか、ファンキー加藤として独り立ちしていかなきゃいけない大変さや苦労みたいなものを味わっていくんですけど」

──例えばですけどバンドを組もうとか、ユニットの形態にしようとか、誰かと一緒に音楽をやるという選択肢はなかったですか?

「僕、グループっていうのは本当に信用できる人というか、そこに信頼感がないとと思っているんです。究極をいえば、そいつに俺の人生の半分を預けられるかどうか、それくらいの関係性じゃないとできないなって。2004年にモン吉と結成した時は、そうだったんですね。だから、いくらそいつに才能があって、華があったとしても、誰かと組もうっていうのはなかったですよね。1人でやっていこうっていう気持ちでいました」

──なるほど。曲に関しては、やはり湧き上がってくるものがありました?

「最初は初期衝動のままにやっていましたけど、当然スランプには陥りましたよ。1人でやっていくってことに対して、すごく考えすぎちゃったんですよね。ファンモンのスタイル、ファンモンの魂の継承っていうところと、ファンキー加藤として新しいことをしなきゃいけないっていう…、そういう2つの思いの狭間でもがいていた時期は結構長くありました」

──それはどちらも、聴いてくださる方のことを考えての迷いですね?

「そうですね。…うん、そうです。すごく悩んで、楽曲制作も迷走して、作ってはボツにして作ってはボツにしてっていうのを30〜40曲ぐらい繰り返しました。必然的に、1人でスタジオにこもることが多いじゃないですか。そういうのも今までになかったですからね。だから自分自身と向き合う時間もすごく長かった。5〜6時間、1文字も書けずに終わったりもしましたし。もうこのままじゃ良くない、もっとシンプルに考えなきゃいけないなって思いましたよ」



──そこはどう気持ちを切り替えたんですか?

「1つのヒントになったのは、FUNKY MONKEY BABYSのラスト・シングルの『ありがとう』という曲でした。あれはBABYS(FUNKY MONKEY BABYSのファンのこと)のためだけに作った曲だったんですけど…、もしかしたらそれでいいのかもしれないって思ったんです。迷走の果てに辿り着いた答えとしてね」

──というと?

「無理矢理作ったような新しいことを、ファンキー加藤に当てはめることないなって思ったんですよ。ファンモンでやっていたファンキー加藤が、俺の理想のファンキー加藤だし。ソロになったからって妙に新しいことをするより、地続きでいいんじゃないかなって。で、やっぱり歌うべき方向は、こういう状況になってもなお応援してくれるファンの皆さんだと。当時の心境としては、新しい出会いを求めるより、今まで出会ってきた人達と離れたくないっていう気持ちのほうが強かったんです。なので、もっとシンプルに考えようって。便箋にお手紙を書くようなつもりでね、“皆さん元気に過ごしてますか?”って作り始めたのが『My VOICE』だったんです」

※続きは月刊Songs2月号をご覧ください。

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