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約1年振りとなる通算24枚目のシングルは、2人にとってティーンエイジャーの頃からの憧れだった奥田民生プロデュース。しかも楽曲は、何とスキマスイッチの代表曲『全力少年』のリメイク。奥田民生の手により生まれ変わった『全力少年』は、酸いも甘いも知った“全力感”と“少年像”が見えてくる1曲に。まさにアレンジの妙としか言えないニューバージョン、お聴き逃しなきように!
Photo:駒井夕香 Text:前原雅子

──この企画はいつ頃から進めていたのですか?



常田真太郎(以下、常田)「そもそも去年の春先くらいですね」

大橋卓弥(以下、大橋)「プロデューサーがいない状態で13年間やってきて、自分達の楽曲に他の人の手が入ると、どんな感じになるのかなっていう興味があって。でも今さら、いわゆるプロデューサーっていう人にプロデュースしてもらうよりは、同じアーティストとして音楽を作ってる人にお願いしたほうが面白いんじゃないかっていうことで。民生さんもセルフプロデュースでやってる作品が多い方なので、ちょっとお願いしてみようってことになりました」

──これまでプロデューサーを立てようという話が出たことは?

常田「それこそデビュー前、事務所に入ってこれからどういう活動してく? みたいな時に僕が出したりもしました。卓弥に言ったら“それもいいよね”っていう話になったんですけど、“自分達でやれ”っていう話になって、“そうですか”ってことで今に至る(笑)」

──それ以降、プロデューサーの話が出たりは?

常田「特にそういう話はしたことないですね。いつからかお互いがお互いをディレクションしてプロデュースする、っていうスタイルができて。またディレクターもいるし、マネージャーからも色々と意見をもらえるので。そういう意味では、そんなに必要とするっていう感じではなかったかもしれないですね。あと、これまでは、そのやり方で本当にいっぱいいっぱいだったような気もします」

──でも今回は、“もう1人”入ってもらうことに。

常田「そうなんです。そもそもこの話は、シングル出して、アルバム作って、ツアーやるっていうのと違う流れでやってみたいっていうことから発したものなので。それで、リアレンジした楽曲でのツアーをやったりしてみたわけですし」

──そして誰にお願いしようかという時、奥田民生さんのお名前が挙がった、と。

常田「やっぱり自分達のルーツというか。民生さんにはホントにお願いしたかったので。実は僕、高校1年の終わりに、人生初のコピーバンドを組んだキッカケがユニコーンだったんですね」

──ということは、キーボードの阿部B(ABEDONの愛称)さん役。

常田「はい。しかも阿部Bさんのことを知った上で、あとを追うように同じ専門学校に行ったという」

──コピーバンドを始める前から、すごく好きだった?

常田「その前はテレビの歌番組に出てる人達っていうイメージだったんです。ところがバンドを組む時にギターの子が『THE VERY BEST OF UNICORN』を持ってきて、聴いたらすごく面白くて。で、当時はインターネットはなかったので、色んな本を読み漁って。みんなでお金を出し合ってライブビデオを買ったり、レンタルしたりして、そういう少ない情報をかき集めて、どう弾いてるのか、ステージングはどうなんだって真似したりしてましたね」

──実際コピーしてみると、ユニコーンの曲は難しかったですか?

常田「最初は全然分からなかったですね。僕、ピアノを習ったことがなかったので、それが初めてだったんですよ。だから書いてあるオタマジャクシに合わせて、鍵盤に指を置いてって(笑)」

──それでも阿部Bさん役が良かったんですか?

常田「バンドやろうぜって持ちかけてきたヤツが、もともとピアノを弾いていて。そいつが弾くのを見て、すごく面白い楽器だなぁ、これでドラゴンクエストを弾きたいなぁと思ってたんですね。そしたらバンドをやる時、そいつがピアノじゃなく歌いたいって言うから“じゃ、俺がピアノをもらう”と言って。ピアノを弾いてみたかったし、ピアノを弾くとモテるなと思っていて。ま、そこだけですけど(笑)」

──モテました?

常田「結果として、ちょっとモテたかもしれない(笑)」


※続きは月刊Songs2016年12月号をご覧ください。

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