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9月20日に前作『バビルサの牙』より約2年8か月振りのニュー・アルバム『私は幸せ』をリリースする柴田 淳。実体験を交えつつ自分の中から出てきたものを調理せずにそのままCDにパッケージしたら、救いのない歌ばかりになってしまったという本作。負の感情に満ちたアルバムのタイトルに“幸せ”と付けた理由を聞いた。
Photo:小澤正朗 Text:大畑幸子
──毎作いつもアルバム完成後からリリースまでがとても楽しみだそうですね。で、前作から約2年8か月振りとなる今回の11thアルバム『私は幸せ』なんですが、柴田さん自身の今の手応えは?



「手応え……というよりも、正直言うと、今までで一番怖いですね」


──怖い!?

「ええ、聴いてくださる方がどういった反応をされるのかなって思うと、自分自身、とても怖さを感じています。なぜなら、これまでにないほど救いのない歌ばかりなので」

──ですね。個人的に悲鳴のように響いてきました。

「それに言い切ってしまっている曲が多いんですよね。今まではどこかに救いを残したり、聴いている人に何か考える余地を残すような歌詞の書き方をしてきたんですけど、今回は逃げ道のない歌ばかりで。例えば、“幸せになれなかった”と断言したり、“あなたを絶対に許さない”で終わったり…。自分の中から出てきたものをそのままCDにしたという感じなんですよ。作家として出てきたものを調理しないといけないのに、そのまま歌詞にしちゃった。だから、今までにないほど歌詞は直球ですね」

──確かに。

「だから…何て言うのかな…怒っているというか…アルバム全体が煮えたぎっている感じがする。感情が荒ぶっているというか。すごく激しい。感情を思いっきりぶつけすぎちゃっているような気がするんですよ」

──聞くところによると、創作は柴田 淳を想い出す作業から始まったそうですね。

「そうなんですよ。作り方が分からなくなっていたというか。どういう感覚で歌を作っていたのか? 柴田 淳とはどういうアーティストだったのか? ってことを想い出しながら曲作りが始まったんです。だから本当に大変でした」

──30代最後で曲を作り、40歳になって歌詞を書いたんでしたっけ?

「そうです。アルバムのリード曲になっている『両片想い』は一番最初にできた曲なんですけど、これ、実体験なんですよね。“これで最後の恋かと思ったのに、またダメになっちゃったのか…”っていう…そういう絶望から創作が始まったんですけど。さらに創作中に両親と喧嘩して、私から勘当してやる! と思うくらい怒りが沸騰している中で曲を書いたりして。どんどん追いつめられて、ふと昔、亡くなった大好きな恩師を思い浮かべて、私も連れてってくれないかなと思うくらい……ものすごく自暴自棄になってしまったりして。私、結婚もしてないし、ましてや子どももいないし。仮に今、私がいなくなっても誰も困らないなと思ったら、何かもう未練もないっていうような精神状態になっちゃってね…。だから、そういう気持ちをありのままに書いたという感じなんです」

──それはキツかったですね。

「はい、とてもキツかったです」

──今、話に出た『両片想い』なんですが、この歌の2人はお互いに好き同士なのに…って思うと、本当に切なさが倍増しますね。

「“きっとこれが最後の恋と 思っていたのは 私だけじゃないはず”って歌詞があるんですけど、実は相手がどう思っているかなんて現実は分からないじゃないですか。だけど、そういう恋愛状況の中で、大人になるとだいたい分かったりしませんか? そういうのって。お互いに好きなのに何でこう上手くいかないのかなって…。大人になればなるほどプライドが邪魔をして、こういう“両片想い”状況って増えてくると思うんですよね。そんな“もどかしさ”があったから、それをそのまま書いちゃったの(笑)」


※続きは月刊Songs2017年10月号をご覧ください。

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