森山直太朗 *撮りおろし3ページ |
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──ニュー・アルバム『黄金の心』、素晴らしいです。現代の社会の雰囲気、問題点みたいなものを捉えながら、50年、100年単位の大きさも感じられるというか。制作に入った時は、どんなイメージを持っていたんですか?
「まず、『若者たち』をリリースして、それを含んだアルバムを作ろうという流れがあったんですよね。来年には全国ツアーが控えているし、こちらとしてもできたものをホッカホカの状態で聴いてほしいという欲求もあったし。でも、それはあくまでも理想というか…。『若者たち』のプロモーションが2か月弱くらい続いていて、ずっと外に向けた活動をしたんですよ。自分のミニマムな時間だったり、ゆっくり腰を据えて物事を考えることができなかったんですけど、そしたら案の定、心の準備ができないまま(アルバムの制作が)始まってしまって。春くらいから曲は作っていたんですけど、御徒町(凧)、マネージャーの姉を交えて話していく中で、それは全部ボツになったんです。“この中に、アルバムにラインナップできる曲はないね”って」
──厳しいですね…。
「特に姉は、一番厳しい批評家でもありますからね。で、“困ったもんだな”と思いながら御徒町と色々やってる中で、まず、『こんなにも何かを伝えたいのに』ができて。そこで初めて“アルバム、できるかもしれないね”っていう感じになったんですよね。そのあと、『コンビニの趙さん』ができて…。足踏みというか、立ち止まって考えてる感覚だったんですよね、その時は。そこに背かなければ、いいアルバムになるんじゃないかなって」
──なるほど。
「アルバムはいつも、その時にホットなことだったり、その臨場感でウワーッと一筆書きみたいな感じで作るんですよ。今回は価値ある停滞というか……“停滞”って言葉にすると、ちょっとネガティブな印象もあるんですけど。“成長?できてません!だけど、こういうふうに生きてきました”ということだったのかもしれないですね」
──『こんなにも何かを伝えたいのに』は“伝えたいことがあるのに、出てこない”という歌だし、『コンビニの趙さん』はコンビニで働く女性に思いを馳せる歌。どちらもすごく日常的で、当たり前の風景なんだけど、それを大きな流れの中で捉えようとしていますよね。目の前にある風景も、そこで感じることも、太古から続く大きな流れの中の一部なんだというか…。
「『昔話』もそうですね。上手く言えないんだけど、途方もなさすぎて掌握できないような景色って、毎瞬、毎瞬あると思うんですよ。彼(御徒町)は、そういう記号化できない気持ちの中に詩情を探り当てる気質があるんですよね。僕は僕で、“よく分からないし、説明できないんだけど、ここには何か大切なものがある”というものを作ったり、発信することに喜びを覚えてるし。あとは、世間だったり、雰囲気みたいなものに取り込まれないように、できるだけ俯瞰(ふかん)で見ようとしてるのかもしれないですね。その上で、楽しむことは子どもみたいにやるっていう(笑)」
──目の前にあるものだけに捉われない、というのは大切な考え方ですよね。
「うん。ただ、僕はそういうことを歌いながら理解しているところがあるんですよね。リリースした時点では実は理解できていなくて、その後、歌っていくうちにその曲を発見するというか。だから、こうやってインタビューしてもらっても──これも毎回言ってますけど(笑)──説明できないんです。逆に“どうでした?”っていう無責任な対応になってしまったり。何でもそうですけど、知らないことばかりなんですよ、ホントに。それは物理的なこともそうだし、精神的なこともそう。いくら情報を取り入れても、分からないことばかりというか…。その範疇の中に自分たちが作った曲も入ってるんですよね」